さいたま桜道院
許諾番号2013−宗商8
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道院紹介
さいたま桜道院のご紹介です。
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道院長ごあいさつ TOP PAGE 道院プロフィール 初代道院長


 梶谷 憲皇かじたに けんみ 中導師 

    大拳士 五段

     役職

  • 金剛禅総本山少林寺さいたま桜道院道院長
  • 埼玉県少林寺拳法連盟 第一ブロック ブロック長
  • さいたま市少林寺拳法協会 事務局長
  • 埼玉大学少林寺拳法部 監督
  • 少林寺拳法埼玉理工系学生連盟 顧問
  • 埼玉県大会実行委員会会場部門長


金剛禅総本山少林寺 さいたま桜道院 道院長 梶谷憲皇です。

少林寺拳法は、戦後の混乱期に、真に自分の可能性を信じ、世の為人の為に行動できる人を、 一人でも多く育て、日本を、そして世界を、本当に豊かで平和な社会を作っていこうという願いのもと、 開祖 宗道臣によって始められたものです。

 さいたま桜道院では、小学生、中学生、高校生、大学生、社会人、お父さん、お母さんなど、広い年齢層、 社会層の拳士が修練しています。多様で多彩な拳士たちが、道場での修練を通して、仲間同士、 教え合い助け合いの経験を積み、自分は変われる、成長できると実感し、 仲間の成長の一助となれるという喜びを味わいながら、自己を磨いています。
 そうした修練の中で、人や社会に対する優しさや、正義の為に行動する勇気を身に付けていきます。 そして、本当に頼りとなる自分を作っていくのです。これを少林寺拳法では「自己確立」といいます。
 そして、自己確立した力を、世の為人の為に活用していくことで、自分の周りの人や社会を少しずつ良くしていくこと、 自分も他人も一緒に幸せな生活を、人生を送れるよう努力していくこと、これを「自他共楽」といいます。
 人生は一度きり。そして、人は一人では生きていけない。少林寺拳法を通して、素晴らしい仲間と出会い、 本当に自信を持てる自分を作り、人の為に何かできる喜びを感じられる、そんな豊かな人生を歩んでいきませんか。 素晴らしいあなたとの出逢いを待っています。






道院長 少林寺拳法略歴
1967年 大分県出身
1984年 高校2年 大分県日田道院入門
1985年 埼玉大学少林寺拳法部入部
1987年 同少林寺拳法部主将
1988年 小坂先生を団長にインドネシアにて交流練習
1989年 埼玉北浦和道院入門
1993年 現副道院長 一瀬仁資と3段の部埼玉県大会 3位
1994年 現副道院長 一瀬仁資と4段以上の部埼玉県大会 2位 全国大会(千葉)出場
1995年           〃            2位 全国大会(福岡)出場 決勝進出
1997年           〃            2位
2006年 埼玉県大会 親子の部 1位 全国大会(北海道)出場
2007年        〃   1位 全国大会(日本武道館)出場
2008年 埼玉北浦和道院 道院長 代務者就任
    埼玉大学少林寺拳法部 監督就任
2009年 埼玉北浦和道院 道院長引き継ぐ
2013年 専有道場設立に伴い道院名を「さいたま桜道院」に変更




インドネシア遠征でのひとコマ(1988年2月)
インドネシア
インドネシア
合同練習会にて ミニインドネシアにて
右から3番目一瀬副道院長 4番目梶谷道院長 右から1番目梶谷道院長 4番目一瀬副道院長






  
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 故小坂直樹先生が1974年(昭和49年)に埼玉北浦和道院として設立しました。小坂先生が24才の時です。
 そして、2009年2月(平成20年)、その小坂先生がお亡くなりになり、梶谷憲皇先生が二代目として道院長に就任しました。 また、専有道場の建設を機に、2013年8月1日より「さいたま桜道院」と名称を変更いたしました。

 当道院は道院長が近隣の埼玉大学の監督も兼任していることから埼玉大学の学生拳士が修練に参加するこ とが多く、とても活気に溢れています。そして親子で修行する拳士も多く、梶谷道院長自身も息子3人と共に、 修練しています。
 また、今までに海外からの拳士も多く入門しており、以前入門していたインドネシアの拳士は 帰国して自分の道場を設立しています。
 


さいたま桜道院 専有道場
専有道場
専有道場
専有道場
専有道場
専有道場
入口看板 正面全景 祭壇 作務(清掃) 鎮魂行
専有道場
専有道場
専有道場
専有道場
専有道場
基本稽古 少年部乱捕 演武稽古 大会1 大会2








道院ジャンバー
 
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【正面】

左胸は赤字で「拳」と「少林寺拳法」の文字(伊達拳士がデザインしました)

左上膊に青字で個人の名前(イニシャル)
 
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【裏】

少林寺拳法の「双円」のマークに「SHORINJI KEMPO」のロゴ

「金剛禅総本山少林寺」のロゴ

「さいたま桜道院」の文字にバックには桜の花びらが描かれています。

最下部にはリボン地に道院設立の年度


女性用は袖が白色になります。

デザインは「SHORINJI KEMPO UNITY」に申請し許可済み。




  
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故 小坂 直樹 大導師 (愛称:パンダ)
  本部231期生 1968(昭43)年6月入門
  正範士 七段          

     歴任役職
  • 埼玉北浦和道院 道院長
  • 埼玉幸手道院 道院長
  • 本山・本部 指導員
  • 本山・本部 考試員
  • 武専別科教師
  • 少林寺拳法世界連合 指導員
  • 埼玉大学 監督
  • 日本工業大学 監督






プロフィール
 北海道函館市出身、高校一年の時に 函館北斗道院(片桐義雄道院長:本部54期生)に入門(本部231期生)する。その後、北海道自動車短期大学に入学 し少林寺拳法部を設立、北海道学生連盟を創設した。大学卒業後は埼玉中部道院(当時中野益臣道院長:本部26期生) に転籍する。又、故板東邦伯先生:本部83期生に師事し圧法を学ぶ。
 そして24才の時、埼玉北浦和道院を設立する。

 その技は豪快で、学ぶ門下生の誰もを魅了した。また、板東先生仕込みの圧法は、自身の体格、身長をはるかに超える大男 さえも手玉にとる使い手で、一瞬で人を落とす(気絶させる)技は圧巻であった。

2008年より難病指定の潰瘍性大腸炎にかかり入院し、2009年2月13日 合併症の敗血症により永眠。享年58歳。

 尚、遺骨は少林寺拳法本部の大雁塔地下の納骨堂に納めらております。

※こちらから小坂先生の映像を見れます。⇒「さいたま桜道院 映像集」




インドネシアでの如意演武(1988年撮影)
インドネシア




こぼれ話
 小坂先生は少林寺拳法では、その名前よりも 埼玉の「パンダ」として名が通っていました。「小坂」先生の名前は知らなくても埼玉の「パンダ」といえば「あの先生か」 と言うくらいでした。

 しかし、その昔、小坂先生は「北海のヒグマ」と呼ばれていました。これは当時のその容貌から開祖があだ名 したと聞いています。昔の小坂先生の事を知っている人であれば、「あぁ、なるほどな」と納得するあだ名でした。
 それが何時から「ヒグマ」から「パンダ」に変身したのでしょうか?

  小坂先生が道院長になりたての頃は「埼玉県連盟」は無く「関東連合」というのがありました。 その中で関東の道院長の先生がたが、少林寺拳法の発展の為に頑張っておられました。 その道院長の中に、横浜寿道院の佐藤一司先生がいらっしゃいました。実はその佐藤先生が「パンダ」と名づけたそうです。

 開祖があだ名した時よりも、多少ふくよかになっておられたのか、「ヒグマ」よりも「パンダ」の方が似合っていたのでしょう。 それ以来、小坂先生は埼玉の「パンダ」として皆に愛される?ことになったのでした。




小坂先生による指導の様子 (2005年11月撮影)




小坂先生 掲載雑誌紹介


あらはん1985年8月号 人生 LIFE 
柔道チャンピオンから「埼玉のパンダ」へ
埼玉北浦和道院/小坂直樹(当時35才)
      文/松永憲生


あらはん1988年5月号 拳理解体 他武道経験者に聞く−柔道
小坂直樹(当時38才) 准範士六段(当時)
インタビュアー 総本部指導部部長(当時) 新井庸弘 (元 一般財団法人 少林寺拳法連盟会長)


会報 少林寺拳法2001年9月号 人と技 第6回 表投
小坂直樹 正範士七段








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